今日は某SNSで最近再会した小学校の同級生のSさんと会った。進んだ中学も違ったし,実に36年と3ヶ月ぶりの再会である。
私の実家はずっと中野区新井である。しかし彼女の家族は中学1年の1学期終了時に中野を離れたのだそうだ。
Sさん曰く,ブロードウェイがオタクの殿堂になっているらしいので,「冥土の土産」にぜひ見ておきたいということであった。「冥土の土産」はちと大げさだとは思うが,めったに中野に出てくる用事などなくなっているとのことで,結局は共通の地元である中野で会うことになった。
中野ブロードウェイといえば,「その道」の人々の間で知らない人がいない,MANDARAKEとその関連店がひしめくところである。
初心者のために説明しておくと,JR中央線に東京メトロ東西線が合流する中野駅は,新宿から三つ目の駅。北口と南口があり,バスのロータリーは南口の方が大きく,丸井本店などもある。北口は私の実家がある方面で,正面やや左手にキャッシュレジスターの形をした白亜の高層ビルが見える。これが中野サンプラザである。そして駅前広場(狭場という方がふさわしい)から,鉄道と直角に北に向かってサンモールというアーケード商店街が延びている。これが昔からの商店街で,昔は中野北口美観商店街といっていた。そして,サンモールに続いて,今度はビル型の商店街が続いていて,これが中野ブロードウェイである。実際,非常に通路が狭く,中野ナロウウェイとでも改名したほうがいいのではないかと思うが,約40年前に完成したときには,すごいショッピング街ができたと思ったものである。ちなみに中野北口を利用する住民にとって,中野サンプラザと中野ブロードウェイというのは,吾が街の二大自慢である。
その中野ブロードウェイであるが,売り場は地下1階から地上4階まで,その上はすべてマンションとなっていて,かつて,沢田研二,キャロライン洋子,故青島幸男などといった,有名人が住んでいることでも有名だった。
構造はちょっと変わっていて,1階と3階にメインストリートがある。そしてエスカレーターは1階から2階をスキップして3階に客を運ぶようになっている。2階4階は複雑に曲がりくねった迷路のような周回路ができている。勢い繁盛する店は1階と3階に集中しており,2階は静かなアクセサリー,服飾関係の店や飲食店,そして4階は,さらに趣味の店が入り,しかも,半分以上がシャッター街というのが実情であった。
そこに,アニメオタクの殿堂,MANDARAKEが入ってきたのが10年ぐらい前であろうか?正確にいつからあるかは知らないが,とにかくその存在を知ったのは,私がオーストラリアに移住し,最初の里帰りを果たした1995年のことであったと思う。次に里帰りした1999年には,そのはびこり度は尋常ではなくなり,現在では,2階,3階の70-80%,4階も開店している店のほとんどが「それ系」の店で占められている。アニメ雑誌,コスプレ,ありとあらゆるコレクションといった店がひしめきあっている。
ということで,二人で3階,2階,4階の順に,ほとんどの店を冷やかした。
こんな中でも,中野ブロードウェイオープン時から,今も変わらず営業を続けている店がいくつかある。たとえば3階のハルヤ書店。今でこそ,他にもっと大きな本屋はたくさんあるが,できた当時は,こんな大きな本屋,他で見たことないと思った。まあ,当時は紀伊国屋書店とかは,守備範囲ではなかったということもある。とにかくこの本屋が今でも健在だ。同じく3階のおもちゃ屋Ponyは,志向をアニメオタク系にシフトさせながらも,一応おもちゃ屋の体面をくずしていない。
2階の飲食店のいくつかは,オープン時からの老舗のはずである。その中でA-Lisenceという喫茶店があり,名前がかっこいいので,昔から気に入っていた。昔は入り口からあまり中が見えず,ちょっと敷居が高くて,いいなと思いつつ,本当に入ったことは1回か2回ぐらいのものだったが,今ではだいぶ普通の喫茶店の体裁になっている。それでも入り口にスリックタイヤが積んであったり,F-1マシンやドライバーのポスターが至る所に貼ってあり,相変わらずかっこいい私の好みの店である。しかしこんな店がMANDARAKE現象とは関係なく,すでに40年前からあったのだから,ここのオーナーは只者じゃない!
で,ブロードウェイ散歩の終着駅は,自然とこのA-Lisenceとなった。最初は1時間ぐらいという予定だったが,そこは昔話に花が咲き,とはいえ,ほとんどSさんが話して,私が相槌を打つというパターンだったが,とにかく気がつけば,3時間ぐらい居座ったろうか?「いつまた会えるか分からないけど知合い」という間柄であるためか,普通,他人には言わないようなこと,たとえば,昔誰が好きだったか,あるいはあいつは誰々のことを好きだったんじゃないか,はたまた,「さらに驚くべき知られざる過去!?」みたいなマル秘話が連発だった。昔話のひとつに,言いたくても言えないことを木の洞の中に向かって叫んでしまうというようなやつがあったと記憶しているが,今日はまさにそんな感じの会話が続いた。まあ,ほとんど私は「木の洞」役に回っていたわけであるが,これもどうせ普段は日本にいない私だからできる役柄である。海外在住の役得は意外なところにあるものである。
人間の記憶とはいい加減なもので,当時の学校行事を,一方は鮮明に覚えているのに,もう一方は全く覚えていないというようなことがいくつもあった。どうやら,二人とも6年のとき同じ放送部にいたらしいのに,お互い,同じところで活動していたという記憶がなかった。時期がちがったのではないかというあいまいな結論となった。その他にも,こんがらがったり,切れてしまった記憶の糸がたくさんあった。残念ながら,私は小学校の卒業アルバムが,実家のどこかにまぎれこんでしまっており,確認のしようもない。
36年という月日は,やはり長い。お互い,街ですれ違っても,絶対に分からなかっただろう。ということは,裏を返せば,そういう人々の中に,非常に確率は低いけれど,ときどき,どこかでつながっている人がまぎれているというわけだ。人間の出会いというのは本当におもしろい。
彼女が最後に言っていた。これで老後の楽しみができた(これもまたおおげさ!)。そのうち,何人か同窓生を連れ立って,中野を散歩したい。できれば,野方の駅(西武新宿線)を基点に,我々の小学校と,友達の家,または昔家があったところを回り,中野の駅まで行こう。
私も是非,その素敵な散歩に参加したいと思う。心配なのは,そのときまで,記憶の糸が一本でもつながって残っていてくれるかどうか,ということである。
Sさん,今日は楽しかったです。ありがとう。またいつか会いましょう。