6月30日。中学の同窓会に出席した。今回の東京への里帰りの目的は,遊びでも,仕事でもない。ちょっとした家の都合とだけ言っておく。それも冠婚葬祭とも一切関係ない。
そうはいっても,その用件だけで,全日程が埋まるわけでもない。こんなとき,ラッキーにも,この同窓会の日程を早めに知ることができ,日程調整をして,この日の出席が可能となった。
前回出席したのは1999年の11月のことであるから,実に6年半ぶりである。そのとき会えなかった人もいて,そういう人とは,本当に卒業以来会っていないかもしれない。となると30年を超える。
今回はこじんまりとした会で,出席者は約35人。1学年250人の学校だったから,出席率は14%である。
蒸し暑い日であったが,1次会はちょっとシャレた場所だったので,一応Tシャツに短パン,ビーチサンダルというわけにもいかない。しかし,普段それに近い格好で職場に通っており,最近の体形の変化とあいまって,着ていく服がない!という緊急事態となった。
こんなとき,ユニクロは助かるよ。28日夜着。あらかじめネット限定クールブレザーっていうのを注文しておいたので,実家にブレザーは届いていた。あとは,ズボンとシャツと靴である。夏なんで,まあノータイでもいいだろう。
で,翌29日も最寄のユニクロにGO!
そして,ウエストの着実な成長を喜びつつ,クールビズ仕様のスラックスと,シャツを購入。靴は別の安売りの店を見比べ,なんとか無難なものを見つけた。
とういことで,服が揃った。しかし,いざ出発というとき,いろいろと荷物を作っていると,早くもそのシャツに汗の水玉模様が出始めた。げー,やっぱり日本の梅雨は困ったもんだ。もうメルボルンの気候に慣れており,梅雨の時期,どんなにジットしていても,肌はすぐにべっとりとなってしまう。まして,ちょっと荷物を詰めたりといった作業をしたら,もう汗腺がベートーベンの第九状態で一斉に歌いだしてしまうのである。
手遅れになる前に,あわててシャツを脱いだ。代わりに半そでポロシャツを着て,シャツとブレザーはRoosのエコバッグに詰め込み家を出た。
そして会場に着いてから,トイレで汗をぬぐって,着替え,難を逃れた。トイレを出たら,いきなり中学高校と同じクラブの仲間と出くわした。「おーMじゃねえかよー!久しぶりだなー」ってな具合で,いきなり昔モードである。私のクラスは一番出席率が高く,かなり盛り上がった。やっぱり昔の仲間と気兼ねなく,バカな話に花を咲かせるほど楽しいことはない。実はこの1次会の途中で腕時計のバンドが壊れてしまい,時計を外してバッグに放り込んだ。これでもう時間も気にせず,大いに羽目を外してしまったわけである。これには尾ひれが付くが,それはずっと後刻。
この歳になると当たり前なのだが,見て一発で「おー,おまえXXじゃねえかよー」と分かる人と,「おい,あそこのYYの隣にいるやつ,あいつ誰?」っていう感じで全く感じが変わってしまっている人がいておもしろい。これが小学校の同窓会だったら,もっと激しいんだろうな。
2次会,3次会と続いたが,そんなに人数は減らず,逆に2次会,3次会と途中参加もいたりして,とにかく近年にない,楽しい時間を過ごすことができた。3次会では,ある女性の隣に座った。ひょっとすると酔っ払って「あーオレZZさんのとなりがいいー」とか言って,悪ノリの醜いオヤジになっていたかもしれないが,とにかく,彼女とは1年のときに同じクラスだったのと,2年のとき,同じクラブに入っていたという共通点があるぐらいである。しかもそのクラブは,当時の友人に付き合って入っていただけで,いわゆる幽霊部員だったので,ほとんど彼女と話した記憶もない。そして,彼女の方は前回私が出席したときは欠席していたので,卒業以来,本当に30年以上も会ったことがなかった。そういう人と,話ができ,近況を語り合えたというだけでも,来た甲斐があったというものである。向こうは迷惑していたかもしれないけど。まあいいや。
今回日程を早く知ることができたのは,幹事の一人とMixi仲間(いわゆるマイミクというやつ)になっていたためである。Mixiとこの幹事の方には本当に感謝している。
2次会から一貫して焼酎,あるいは泡盛を飲んだ。3次会終了時点では,かなり出来上がっていた。場所は西麻布。みんなタクシーに相乗りしたりしているが,私はなんとなくはぐれてしまった。ふと見ると,交通標識に「千駄ヶ谷」とか書いてある。「ああ,千駄ヶ谷か,歩いちゃうかな」とバカなことを考え,霧雨に煙る西麻布交差点を後にした。歩けども歩けども,JRの駅も地下鉄の駅も見当たらない。歩きつつ,大体場所の見当はついてきたのだが,どうやら千駄ヶ谷は遠すぎで,表参道を目指すべきだと,アルコール付けの脳みそで考えた。結局それは正解だったが,そこに至るまでの時間もかなりかかった。ボーコーが破裂しそうになっていた。顔をゆがめつつ,耐えに耐えて,表参道の駅のトイレに駆け込んだ。
さて,次にここからどういう経路で帰るかであるが,判断力が落ちており,妙なところでケチな本性がでて,地下鉄とJRを乗り換えるより,地下鉄一本で帰ろうという結論になった。実家は中野である。最善の方法は銀座線で渋谷に出てJR。しかしこのときは,何を思ったか,中野まで地下鉄の切符を買ってしまった。ここでもう一つの判断ミス。あとから路線図を見直すと,地下鉄のみで行くにしても,たとえば半蔵門線で九段下に行って東西線に乗り換える方法などがある。しかし昔の記憶を頼りに渋谷と反対方向の千代田線に乗って,大手町で乗り換えだ。という頭しかなかった。
大手町で下車。そうしたら,なんとー!東西線は終わっていたのである。あ,もうそういう時間だったんだ!?腕時計ちゃんとしてたら,こんなことにはならなかったような気がするが,あとのまつりである。
仕方なくタクシー。なんという金のムダであろう。わざわざ遠いところまで行ってからタクシーなんて….
翌日は一日ほとんど寝ていた。さすが焼酎系は後に残らず,朝食も昼食も普通に食べたが,とにかく眠くてだるかった。横になりながら「そういえばあれは失くさずにもって帰ってきたか!?」とかいうものがいくつかあり,その度にガバッと起き出して,あわててポケットやバッグを探った。不思議なことに,あんなにおバカをやっても,持ち物はなくさなかった。
夕方近くなって起き出し,卒業アルバムを見て,「これがあいつかよ!?」などと思いながら楽しかったひとときを,反芻した。その後,前日から親戚の家に遊びに行っていた娘を迎えに行った。会うなり娘は,「昨日はどうだった?」と聞くので,
「うん,楽しかったよ」と答えた。
「昔好きだった女の子と会えた?」
「いや,いなかったな」
「じゃ,悲しかった?」
「べ,べつに…」
考えてみれば,前日会った女性達とは,現在の私の娘の年頃に時間を共有していたわけである。思い出すと,あのころの私は(今もそうだが)本当に子供だったと思う。それに比べると,女はこの年頃からしたたかだ。かなわねえ…