メルボルンに移り住んでもうすぐ20年になろうとしているが,今日,こちらに来て初めて,お葬式に出席した。2年前まで一緒に仕事をしていたロイが,先週亡くなった。そのお葬式が今日執り行われた。享年62歳。
なんとまだ私より10歳上なだけである。私もすでに入社12年になろうというところだから,私が入ったころ,彼は現在の私より若かったということになる。
1999年の5月。私は今も勤めているQuest Softwareに入社した。当時はAshburtonというサバーブに会社があった。総勢60名前後の小さな会社だった。
ロイは,私を見つけると,真っ先に自分から自己紹介してくれた。配属されたグループ以外の人で,自分から名乗り出た人はこの人だけだったと思う。現在の私より若かったはずだが,ロイはすでに初老紳士という風貌だった。やや肥満気味。総白髪でしかも頭頂部はやや薄めの髪。強い度の入った老眼鏡など,当時50歳ちょうどだったとは思えない。しかし,人当たりがやさしく,本当に温厚な人柄を感じさせた。
彼のポジションは,Tech Writer。日本では私のポジションであるSoftware Tester(QA)よりさらになじみがないかもしれない。要するに,ソフトウェアの一環として,マニュアル,リリースノート,ヘルプのコンテンツなどを書く人である。日本だと,大手メーカーでも,開発(プログラマ)が兼任しそうな仕事(かつて私もマニュアルを書かされた)だが,ここでは専門化されている。
やがて彼とは同じ開発グループで仕事をすることになり,2年前の大波で,このグループが解散するまで,4-5年はいっしょに働いたと思う。
製品を出す前,QAもテックライターも非常に忙しい。最後の瞬間までプログラムに修正が入る。あるいは,出荷前に修正しきれない問題が残る。そうなると,これらをテストしたり,交通整理するのが我々QAの仕事。そして,マニュアルにも修正が及ぶことになる。あるいは積み残し障害の回避方法といったことを,リリースノートに書き足していく。こういう意味で,QAとテックライターは最後の最後まで仕上げに翻弄されるのである。
彼は,戦記物を読むのが好きだったようだ。
彼が会社を去る数ヶ月前だったと思うが,キッチンで,こんな立ち話をしたのを覚えている。
「マサ,ヤマモトを知っているかい?日本の海軍の将軍だよ。」
「ああ,山本五十六だね。そりゃ知ってるよ。有名な人だからね。若い人は知らないかもしれないけど。」
「今,彼の伝記を読んでいるんだ。」
「へえ,英訳本があるの?」
「うん,なんとかっていう日本人(実際には,阿川弘之)が書いた伝記物の英訳だよ。」
「そう」
「おどろいたね。彼は開戦には反対していたんだってね。」
「そうだよ。彼はすごいエリートだったんだ。」
「だから,アメリカにも行っていたことがあって,戦争したら到底かなう相手じゃないと,分かっていたそうじゃないか。」
「そうだよ。」
「なかなかおもしろい本だよ。興味あるなら,今度貸してあげるよ。」
実は,英語の本なんて,読みたくなかったので,そのときは,あいまいな答えをしていたのだが。
会社を去る前,結局ロイはこの本を家から持ってくると,私にくれたのだった。
「もう読んだから,君にあげるよ。つまらなかったら捨ててもいいからさ。置いていくね。」
彼自身も古本屋で見つけたのだろう。すでにかなり紙が茶色くなったペーパーバックだった。
これが,彼の形見になるとは,そのときは想像もしなかった。
実は,この本,何度か読みかけて,途中で挫折しているのだが,今度こそ,読み通そうかと思っている。
もうひとつ,彼の形見があるのを今思い出した。
やはりキッチンでの立ち話だったと思うが,なんのはずみからか,計算尺の話になった。
彼は今も計算尺を持っていると言うのだ。
ロイは,それから数日後に,それを持ってくると,またも
「もう使わないから,あげるよ。」
と気前良く,私にくれたのである。これは,会社のデスクの引き出しに今もある。
葬式は,あっけなく1時間足らずで終了した。遺体はすでに棺に納められており,最期のお別れなんていう儀式はない。
式次第が済むと,棺はすぐに玄関前の霊柩車に運び込まれ,葬列を組むでもなく,去っていった。
あのちょっと肥満した身体が納まっているにしては,その棺はちょっと小ぶりに見えた。
ロイ,安らかに眠ってください。