勤続10年

今月3日に,現在勤めている,Quest Software勤続10年となった。オーストラリアに来てから,というより,生まれてこのかた,こんなに長続きした仕事はない。
大学を卒業して,すぐに就職した某コンピューターメーカーF社に10年いた。正確には,4月1日が入社式で,メルボルン移住のために退職したのが10年後の4月20日だった。この10年と20日というのがいままでの最長。ということは,今日は5月24日だから,入社後10年と21日となり,今日から最長不倒レンジに入ることになる。

危機はあった。何度もあった。特に去年の危機はチーム全体が消え去るという最大の危機だった。それを瀬戸際でしのいだ。別のチームからのオファーがあった。しかし,当初はそれをはねつけていた。転職口が見つかるという自信があった。しかしそれが思ったように進まなかった。一日狂っていたらそのまま進んでいた。これをギリギリで思い留まり,ほとんどルール無視の形で初心を覆してオファーを受け,新しいポジションを得て,今に至っている。

ここでは,会社に長くいることはひとつも自慢にはならない。特に,技術者なら,職歴を誇るべきであり,ひとところに留まっているというのは無能の証と見られる場合すらある。
私としても,去年の危機をよいしおに,新たなポジションを見つけて職歴に箔をつけたいところであった。しかしうまくタイミングが合わず,さらには,すでに下り坂になっていた景気の傾向を考慮して,現状では収入の安定を優先するという決断をした。

去年,今の会社を去ろうかと思っていたころ,気持ちは転職に前向きだったが,ひとつだけ惜しいなと思っていたことがあった。それは,あとちょっとで入社10年になる。やはりできたらこの大きな節目をここで迎えたいという気持ちがあった。

で,結局はその節目を迎えることができたわけだ。
今いる会社では,5年ごとに記念品がもらえる。5年目のときには,小さな置時計だった。今回はなんだろうとおもったら,30cm四方ぐらいの封筒を渡された。

その中に,両開きの大きなカードが入っていて,CEO自署入りのレターと賞状が入っていた。そして,記念品の目録がついていて,その中から自分で好きなものを選ぶことができるという,なかなか気の利いたものだった。下の写真がそのカード。真ん中のポケットに斜めに挿してあるのが商品目録だ。

時計,宝飾品,置物など,いろいろあった。金額的には100ドルを超えない範囲か?
で,いろいろ迷ったが,実用的なものにしようということで,ラップトップコンピューターが入る,革製のバッグを選んだ。
先週の月曜にWebで注文したら,金曜日にはアメリカから会社に届いた。
総革製。ラップトップコンピューターの入る場所はもちろん,コンピューターのアクセサリー,ペンなどの文房具を入れる場所がある。まあ,よくあるコンピューター用バッグである。ひとつだけ長所をあげると,リトラクタブルの肩掛けストラップが付いていること。巻き取り式で,バッグの中に入ってしまう。なかなかスマート。気に入った。明日から,このバッグを持って会社に通おうと思う。

某コンピューターメーカーF社は,勤続10年にしても,金一封どころか,粗品も出なかった。辞めると言ったら,ひととおり慰留はされたものの,だめとなったら,毛筆で辞表を書かされた。当時としてもすでにワープロが普及し始めていたご時世だ。何が悲しくて,そういうワープロを作っている,一流のコンピューターメーカーを辞めるために半紙と筆を探しまわって,おぼつかない筆遣いで辞表なんか書かなくてはならないのか?単なる嫌がらせとしか思えなかった。そしてもっとあきれたのが退職金であった。今となっては,金額は正確には…いや,まったくどのぐらいだったかすら思い出せないが,数字を見たときは冗談だろうと思った。そのぐらいのハシタガネであったことだけは確かだ。終身雇用はまだまだ当たり前の世の中だったから,中途で自己都合により退職しても,退職金が微々たるものというのは分かっていた。しかし,10年の節目を過ぎているんだから,いくらなんでももう少しもらえるものと期待していた。それだけに,落胆が大きかった。こんなことならもっと早く辞めていれば良かったと本当に後悔した。親に金額を知らせたら,親も腹を立てていたのを覚えている。

今働いている会社は,人を切ることにはドライなアメリカの会社だ。退職金だって出ない。だが,少なくとも今の会社の方が社員を大事にしている。そう言えるのではないか?

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