今日から数えてぴったり2ヶ月後に,50歳になる。ラス前だ。憂さ晴らしに,今日は「どーでもいいおはなし」のカテゴリに入る,馬鹿っ話をしよう。虫が食わなかった歯は一本もないという私。歯の苦労話はいろいろある。
歯医者で修羅場も何度かくぐった。
いままでで一番きつかったのは,やはり親知らずだろうか?
右だったか左だったか,もはや覚えていないが,とにかく,上下向かい合う親知らずのうち,上側が完全に生えきっており,下が頭を出しそうという状態になったことがある。まだ顔を出していない下の歯を覆っている歯茎が,上の歯と下から出かかっている歯に挟まれ,日ごと痛くなり,ついには口もろくに閉じられない状態になった。物を食べるのも痛くて無理。流動食のみしか受け付けなかった。
就職した最初の年である。なぜそこまで覚えているかというと,そのときかかった歯医者は就職して,正式に配属された職場のそば,蒲田の駅のそばだったことを覚えているからだ。
その職場は半年後,事業部ごと引越したので,この半年の間に起きた事と特定できるのである。
つまり,私は大卒で就職ほやほや。まだ23歳だった。若かったねー。今の歳の半分以下だぜおい!
とにかく,就職してから初めて歯医者に行かなくてはならない事態となった。どうしたらいいのか分からなかったが,相談に行った事務のお姉さんが,慣れたもので,
「ああ,じゃあ,仕事時間中に行って来ていいわよ。一応,私用外出届けを書いてから行ってね。何かあったとき困るからね。でも無事帰ってきたら,その届けは破いて捨てちゃうから,欠勤とかにはならないからね。」
なーるほど。生活の知恵だ。
ということで,心置きなく就業時間中の予約をとって,行ってきた。
歯医者もまた,慣れたものである。
「ああ,歯茎が挟まれて炎症を起こしてるね。いたいねーこれは。この状態で歯を抜くのはまずいから,まずは,向かい側の出てる方を抜こうか?」
「え!い,いやあ,今日はまさか抜かれるとは,そのー,心の準備ができていないんで,なんとか抜かずに済みませんか?」
「うーん,そうねー。じゃあ,向かいの歯を削って,とりあえず歯茎が挟まらないようにしましょう。でもどちらもいずれは抜かなきゃだめよ。」
ということで,その日は向かいの歯を目いっぱい削ってもらった。痛みはみるみる引いた。
で数日後,その出かかっていた下の歯は,歯茎の炎症が治まってから,抜くことになった。
これが修羅場だった。まずは麻酔。ここまではいい。さてと,まだほんのちょっぴりしか頭を出していない,おこちゃまの親知らずである。このままでは簡単に抜けない。
どうするんだろーなーと思っていたら。背筋も凍る一言が先生(女医さんだったような記憶がある)の口から出たのだ。
「電気メス!」
げえー,切るのか。まあ,切らないわけにはいかないとは分かっていたけど,電メスいっちゃう?これは予想していなかった。
まあ,後で分かったが,電気メスだと,切ったところが焼けてその場で止血もできるので,これがベストなのだろう。
ベストかもしれないが,やられる方はビビるぜ。せめて黙ってやって欲しかった。「電気メス」といってから口になにやら突っ込まれたら,さすがに歯医者ズレした私でも固まるぜ。
ジジジーっといやな音がして,白い煙が立ちこめる。食べてもいない焼肉の臭いが,口の中に充満し,鼻を突くのである。オエ!やられたー
で,その後,あの独特の千枚通しの出来損ないみたいなふとーい棒で歯をこねくり回されたあげく,おこちゃま親知らずはあえない最期となり,掘り起こされたわけである。
抜いた後の穴も大きく,糸で縫い合わされた。
さすがにこれが今までで一番すごい治療だった。なにしろ,口の中で,焼肉と裁縫をいっぺんにやられたのだ。これは最初で最後の経験でしょうね。
これを経験すると,ほぼあらゆる修羅場に耐えられるようになる。皆さんも機会があったら,是非「電メスお願いします!」と頼んでみよう。
ところでここ,オーストラリアでは,こういう大手術になると,歯科手術といえども,全身麻酔を使うことが多い。私のワイフなどは,親知らずを抜くことになり,全身麻酔ですから,いっそ4本いっぺんにやりましょうかといわれた。
本当に4本一度にやる人も多いらしい。いくら一度で済むからとはいえ,みんな平気なのだろうか?ワイフの場合は,そのうち2本は今後も発育する兆しがないので,とりあえずそのまま放置することになり。残り2本を全身麻酔でいっぺんに抜いた。しかも2本ともまだ頭も出ていないので,やはり切開してから抜いたのである。
一応半日入院なので私もついていったが,メルボルンでも5本の指に入るというえらい先生に抜いてもらった。まず術前に説明を受けるので,私も立ち会った。
「ああ,簡単な手術ですからね。こういう事例,私はもう飽きるほどやってます。目をつぶっててもできるぐらい。何も心配いりません。まず,歯茎を切り,歯を露出します。そうしたらハンマーでその歯をたたいて砕き,細かくしてから破片を一つずつ取り出しておしまい。」
うおおー,荒っぽい!こんなの局部麻酔でやったら,心臓麻痺で死ぬぞ。
でも,この先生。本当に腕が立つ人で,術後,心配していたほどの痛みもなく,もらった痛み止めも飲まずに済んでしまった。ワイフにとって,たった一つ誤算だったのは,これで当分何も食べられず,激ヤセすると目論んでいたのが,見事に外れたことである。当日はさすがにあまり食べられなかったが,次の日からもう食欲旺盛。かくして,妻の計画は見事に失敗に終わったのだった。
さて,最初の蒲田駅そばの歯科医院に話は戻る。もうひとつ,おもしろいお話し。
その一連の治療,抜歯の期間中のある日のこと。夕方近くに,その歯科医院から職場に電話がかかってきた。
「あのー,根本さんですよね」
「はい,そうですが」
「蒲田駅そばの○×歯科医院ですが」
「ああ,どうも」
「ちょっとー,あのつかぬ事をお伺いしますが,あなたの課に松原さん(本名)という方,いらっしゃいますよね?」
「え?松原ですか。はい,おりますが」
「そのー,松原さんなんですが,今,こちらにいらっしゃっているんですが,先ほど,気分が悪くなられて,いまこちらで横になってしばらく様子を見ております。」
「ええ?ど,どうかしたんでしょうか?」
「いや,大したことないと思うんですが,あのー,注射をしようと思ったら,なんか急に貧血を起こしてしまわれたようで,いま起き上がれない状態ですが,しばらく休めば大丈夫だと思います。ただ,そちらで心配なさるといけないと思い,一応連絡しました。」
そのころから,もう私は笑いをこらえるので必死だった。
そう,事務のお姉さんは正しい。「何かあったら困る」なんて,何があるわけ?と思っていたら,あるんだこれが!こういうことが!
松原さんは,私より5歳ぐらい年上。もう子持ちのハンサムな先輩社員。ちょっと気が弱いところがあるとは思っていたんだが,本当に気が弱かったんだね。
注射針を見た途端,スーっと頭が真っ白になってしまったんだと。
電話を切った私は,もう我慢できず,笑いながら,課員にこの話をいいふらしてしまった。
その日から松原さんには枕詞ができた。
「ノミの心臓」の松原さん,いいふらしたのは私です。ごめんなさい。でも,もう時効だよね。