人脈(?)と我が道

実家の父が毎月,某ソフト業界誌を会社に郵送してくれる。ときどき,実家に届いた私宛の郵便物を,同封してくる。

おととい届いたものには,中学の同窓会紙がはさまっていた。

昨年9月に,創立60周年の記念同窓会があったそうで,大変な賑わいだったようだ。
その記念同窓会の模様が報じられていた。

私と同姓の20歳年下の卒業生がいる。もちろん親戚ではないんだが,彼女は気象予報士で,毎朝テレビに出ている。
一度会って,同姓のよしみで一緒に記念写真でも撮らせてもらいたいものだ。

当日は,その気象予報士の彼女が自作の同窓会の歌を披露して,自ら歌い(彼女はシンガーソングライターとして業界デビューしている),バックバンドに混じって,私の同期の元某有名フュージョンバンドのドラマーがドラムをたたいたという。ああ,行きたかったなあ。

なんて思いながら,その他の記事に目を移して,びっくりした!
クラブの一年先輩が,なんと,その同窓会の日から,校長になったというのである。

そうかあ。なになに,大学の教授になっていらっしゃるではないか。専門は哲学!すごいなー。
卒業生が校長になるのは,今回が初めてだそうだ。どんな感じがするものだろうか。

そういえば,同窓会長も我がクラブの大先輩である。
その他,神奈川県某市の市長もいるし,我が部はなかなかすごい人が出ているのだ。
そこへ行くと,地球の南の果てでくすぶっている私はなんなんだろう。

なんて思ったかというと,そんなふうには思わなかった。いや,ちょっとは思ったかな。
でも,どんな人々とつながっていようと,私は我が道を行く。それだけだ。

我が道を行って,南へ南へと進んだら,やがて,海に突き当たり,その先にタスマニアがあって,それを過ぎるともう南極である。
これ以上行くと寒すぎると思い,この地に根を下ろした。(嘘ですが)
思えば遠くにきたもんだ。

一年先輩が中学の校長になる歳になったか。私はここに骨を埋めるのだろうか?

さっき,ちょっとソファーによりかかって,Bill EvansのCDをかけた。
今一番気に入っている曲がかかった。

彼のピアノは押しなべて美しい。美しいんだけど,後期の曲は悲しくも美しいという表現がぴったりの曲が多い。
その一番気に入っている曲も,悲しくも美しい曲のひとつである。そして,そういう曲には甘美な死の香りがする。
彼の旋律を聴いていると,はっきりと死を予感するひとときがあるのだ。自分もいつか死ぬんだなと,切実に意識させられる。
そして,そのときには,この曲を聴いていたいと思う。なにか,幽界から,彼がゆっくりと手招きをしているような気がする。
どこかにスーっと引き込まれていく。どこへ?海,かな。

ああ,どうせなら,海の見えるところで,眠るように死にたいものだ。
この曲を聴きつつ,落ちていく夕日を見ながら。

あれ?ってことは,西海岸じゃないとだめだ。オーストラリアだと,Perthかなんかに移住しないとなんないね。
めんどうだなあ。夕日はあきらめるか。おお,あぶなく引き込まれて溺れるところであった。

なんか,前半と後半が全く関係ないものになった。
だめな文章のお手本。

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