遅くなったが,1週間前のできごとについて。
先週の金曜日が,娘の高校生活最後の週で,金曜日に卒業式があった。
オーストラリアの学校については,日本ではあまり知られていない。
日本に住んでいる人で,学年がいつ始まり,いつ終わるか,正確に答えられる人は少ないだろう。これはオーストラリアを訪ねる日本人からのFAQのひとつでもあり,実際私もよく訊かれる。
中には,アメリカと同じく,9月から学年が始まると信じている人もいるが,そうではない。
オーストラリアの会計年度は,7月から翌年6月までで,日本とまるでちがう。
じゃあ、学校もこれと同じか?と思いきや,学校はこれとも違い,基本的には,カレンダーどおり,1月に始まり12月に終わるのである。
しかし,実際のところ,12月末から1月いっぱいというのは,クリスマス休暇であり,夏休みでもある。
したがって,本当に授業が始まるのは1月末である。細かい部分は,州によっても異なる。
1月26日にオーストラリアデーというオーストラリア全土共通の祝日がある。ビクトリア州の場合,公立学校は,この祝日の次の日あたりから授業が始まるのが常である。私立はそれより遅い場合もあり,だいたい2月1日前後と思えばいい。
そして,終業は12月の中旬。これが公立学校の場合である。私立は12月第1週までというのが目安で,学校によって多少異なる。
始業式というのはない。始まる日からいきなりフルタイムで授業開始である。
そして,終業式にあたるのが,Speech DayとかSpeech Nightと呼ばれるもの。娘の学校の場合,前者は小学校までで,昼間の行事。後者はハイスクールの行事で夜の行事。
Speech Nightはホールを貸切りにして開催する。「Speech」というだけあって,来賓や校長などのスピーチがあり,合間に聖歌斉唱,コーラスやオーケストラの演奏などを織り交ぜ,数時間にわたって行われる。そして,学業,スポーツ,芸能など優秀な生徒に賞状が手渡される。
ここまでは,Year 11,日本でいう高校2年生までの話。最終学年であるYear 12は少々異なる。
だいたい10月末にすべての授業が終了してしまう。10月末は卒業式。これをなんと呼ぶかはいろいろあるらしいが、娘の学校では、Valedictory Dayという。
Victoria州の大学に進学するには,VCE(Victorian Certificate of Education)と呼ばれる大学入学のための制度に沿って,それに準拠した科目を履修し,期間中に課題提出,また小テストなどをこなして,普段の成績を積み上げていく。そして,11月に各科目の最終試験がある。これは科目ごとに,さみだれ式に行われるが,原則として自分の学校の普段の教室で試験を受けられる。これらの総合成績で点数が決まり,履修科目と点数によってどの大学のどの学部学科に進めるかが決まるのである。
追記: この最終試験の結果が最終成績に占める割合は、科目によって異なるが、おおむね50%ぐらいである。最低でも40%とのこと。
Victoria州の高校のYear 11と12の2年間は,このVCEのための学年である。授業もVCEに準拠したものしかない。したがって,大学進学を希望しない者はYear 10までで学業を終える。
ということで,なぜ10月に卒業かというと,高校の最終学年は,その存在意義からして,試験が始まる直前におしまいだから,というのが答えである。
ただし,学校は引き続き試験のサポートをする。11月中は試験スケジュールに沿って補習授業,模擬試験などが組まれているので,学生はそれに参加する。出る出ないは自由。もう制服を着る必要もない。
また,Year 12の生徒は,12月初めのSpeech Nightには出席しないのが普通である。オーケストラに参加していたり,学業などで表彰されることが分かっている者だけが出ればよい。もちろんそうでなくとも希望するなら出席すればいいが,逆に表彰されることが分かっていても,出席を辞退し,旅行などを優先する者もいる。
ちょっと脇道に逸れるが,制服を着ないということで思い出した。語学を選択した場合,会話の面接試験があるが,これについては10月中に実施され,すでに終わっている。その他の試験は上記のように,自分の学校で受験するのだが,会話の面接試験だけは,学外の施設に数校の学生を集めて試験を実施する。おそらく,試験官の人数が限られるための措置だろう。
このとき,受験者は学校の制服を着て行ってはならない。また,試験中,自分が通っている学校名を明かしてはならないし,学校名が類推できるようなことを言ってもいけない。たとえば,「私の学校は共学です」というのはOKだが,「私の学校はXX映画館の真裏にあります」というのはまずい。これは,試験官が学校名を知ることによって、先入観などから採点にバイアスが加わるのを避けるためである。
というわけで、娘の学校の場合は、ちょうど一週間前の金曜日がValedictory Day。
まず昼、12時からValedicttory Eucharist。これが事実上の卒業式で、All Saits’ Churchという学校の教会で行われた。ハイスクールの生徒全員とYear 12の保護者が招待される。
完全に教会の行事であり、入口で配られる式次第に沿って進行する。全員で唱和する賛美歌や、言葉などがすべて台本のように書いてある。賛美歌などは、普段見慣れない単語が多く、日本人の私にはとっさに発音が出てこないので、いつもムニャムニャとネコのような発音で節だけ追随して小声で歌うことにしている。
この式典の最後は、卒業生が一人ひとり、ハウステューターから学校の紋章のついたろうそくを手渡され、それを順番に中央にあるスクールキャンドルで点火して退出する。
みんな涙を浮かべ、女の子の大半は、しゃくり上げながら歩いていく。先生と握手、あるいはハグして別れを惜しむ。見ている我々保護者も感無量。目が熱くなる。
こんなに名残惜しい環境に13年間娘を通わせることができて、本当によかったと思った。
終了後は教会の前で友人、先生と別れを惜しみあい、写真を撮ったり、抱き合ったり、泣いたり笑ったりと大変な騒ぎであった。
そして、夜。Valedictory Dinnerが待っている。
開場は7時。場所はメルボルン、いや、オーストラリアのクリケットの聖地であり、オーストラリアンフットボールの聖地でもあるMCG(Melbourne Cricket Ground)のスタジアムの建物の一部になっているメンバーズルームである。ちなみに1956年のメルボルンオリンピックの開会式会場もこのMCGであったそうだ。
生徒も父兄も先生も、みな着飾って参加する。男性はさすがにブラックタイとまではいかないが、私も久しぶりにネクタイを締めた。
会場は巨大な大ホール。何しろ、卒業生約130名に、2名までの保護者、これだけでざっと350名。教員を含めて約400名のディナーである。10人がけ丸テーブルが40前後あったのは確かだ。
私のテーブルには娘と娘の親友、その彼氏の生徒3名とその両親で計9名。これに教師1名の10人テーブルだった。会場の奥正面にスピーチ用のステージ。正面と右壁面に大スクリーン。それ以外の随所にテレビスクリーンが合計20台ぐらい配置され、どの角度に座っていても、スピーカーの表情が見えるようになっている。
ここでフルコースディナー。まあ味は月並みだったが、これだけの人数の食事を進行させる裏方も大変なものだ。
生徒も親も教師もやがてテーブルを離れ、いろいろな人と談笑する。ステージに向かって左側はガラス張りで、MCGのグラウンドと10万人収容のスタンドが一望できる。MCGのご好意で、グランドもライトアップされ会場の一方に幻想的な一大風景画を提供してくれる。ドアを開ければ、観客席に降りることもでき、少々暑くなった会場から夕涼みにでる生徒たちで常ににぎわっていた。
宴は11時ぐらいまで続いた。娘は我々と共に帰宅したが、その後、友人の誕生パーティーに深夜出かけていった。もちろん、私が車でその友人宅まで送ったのだが、娘は前日も別の友人宅に泊まっており、二夜連続の外泊となった。
大学進学のための本試験を直前に控え、こうやって連日遊び歩いているわけである。日本から来たばかりの人が見たらきっとびっくりするであろう。
私はまあ、ここではこういうものだと知っているから驚かないが、それにしても、大事を前に、こんなにバカ騒ぎができるこの人たちの神経がわからない。