里帰り始末記(1): 出発日に仕組まれていたこと

大遅刻ではあるが,皆様あけましておめでとうございます。昨日14日はオーソドックス系のキリスト教では元旦なのだそうで,まあ,大遅刻でもいいのではないかなどと,自己弁護したりする。

無事12日にメルボルンに帰り着いた。まあ,一応「無事」といっておく。とりあえず,昨日から通常どおりに仕事に戻っているわけだから。

日本に滞在中,途中でブログ更新は投げてしまった。あまりにもスケジュールが詰まっているので,メールのチェックをするぐらいが精一杯だった。それから,体調も思わしくなかった。そこで,これから,日本滞在中のことをテーマ別に書いていきたい。

さて,初回は,上記に「一応無事といっておく」と書いた意味を説明しよう。帰路のことだ。

帰路は,往路ほどのトラブルはなかった。が,皆無でもなかった。

JetStar便で帰ったのは往路と同じ。ただし,今回は,関西で遊ぶことなく,一気に,

羽田-(JAL)->関空-(Jetstar)->ブリスベン-(Qantas)->メルボルン

というルートで帰った。

羽田-関空は全く問題なし。

関空で,最後の日本食とばかり,がんこ寿司に入り,寿司の食い納めをした。Jetstarでは食事はすべて有料だし,予約していない場合は,メインメニューは売切れとなる可能性もある。機内食は全く当てにせず,乗る前に満腹にしておく方がいい。

Jetstarは,あーらめずらし,ほぼ定刻どおりの出発だった。

今回は,預けた荷物を,乗り換え地ブリスベンで一旦受け取り,チェックインをやり直す必要があった。関空のチェックイン担当のおにいちゃんによれば,「国内線から国際線」と乗り継ぐ場合は,荷物をスルーにできる。したがって,同一,または系列(今回のようにQantasとその子会社のJetstar)会社の乗り継ぎなら,客の便宜を考え,スルーにしてもらえるようである。逆に「国際線から国内線」と乗り継ぐ場合は,最初の寄港地で,まず入国審査と通関を済ませなければならないので,乗り継ぎ会社に関わらず,荷物を一旦下すことになるそうだ。なるほどね。納得。

ブリスベンまでは,ほぼ満席だったが,我々親子3人は,横4席すべてを与えられ,一人分の空きがもらえた。おかげで,娘は横になって寝ていた。

ということで,ブリスベンまでは,まあまあ快適な旅となった。

ブリスベンで降りると,ほぼ同時刻に別便が日本から着いていた。他にも1-2便他国から到着した便があったかもしれない。
とにかく,人の波が入国審査ゲートに殺到。待ち行列のスペースはあふれ,免税店まで人で埋まって動かない!
そんな中,心臓発作で倒れた人が出て,人の波の中で心臓マッサージ!これが,エコノミークラス症候群っていうやつだろう。ERでおなじみの電気ショックによる蘇生器も登場。懸命の心臓マッサージと人工呼吸はすでに5分ぐらい続いている。修羅場である。幸い,その人はなんとか息を吹き返したようだった。あーよかった。いくら他人とはいえ,生死の境にいる人を横目に,行列に並んで牛歩しているというのは,いい気分ではない,まして,その人が助からなかったりしたら,寝覚めが悪いことはなはだしい。

うちの娘は,メルボルン生まれ。オーストラリアのパスポートを持っている。すると,我々3人は,オジーに混じって「Australian passport holders and thier family」という列に並べる。こちらの方が流れが早い。ラッキーである。娘様さまである。ところが,私達の前に,どうみても大阪のオバチャンに見える二人連れが並んでいる。このオバチャンたち,オーストラリアのパスポートを持っているのかな?そーっと覗いてみたら,案の定,二人とも日本国のパスポートを持っている。しかし,二人とも,間違った列に並んでいるという自覚がないようだ。ただ,世間話かなんかしながら順番を待っている。ここで注意して,慌てるところを見るのもよかったけど,このまま行ったらどうなるのかの方に興味があったので,放っておいた。

おばちゃんたちの番になった。入国管理官のところで,多少苦労している感じだったが,単に,英語が分らないという様子。たとえ管理官に「この列じゃないでしょ」と言われても,「なんゆうとんのあんた?ようわからんわ」と言っていればいいのである。気楽なもんだ。結局,次に並んでいた我々3人が,隣のブースで手続きを済ませてから,さらに数分かかったものの,二人とも無事入国できてしまった。「Other Passport」の列に並んでいるよりは,はるかに早かっただろう。大阪のおばちゃん恐るべし。

さて,次が,往路で大変なことになった荷物であるが,さすがに乗り継ぎしていないから,ちゃんと二つともすぐに出てきた。しかし,税関にはまたもや長い列。やっとのことで,出てきたときには,もう乗継ぎ便出発40分前ぐらいになっていた。ここで乗継ぎ用チェックインカウンターが見つからず,血迷って国内線ターミナル行きの電車の切符などを買ってしまったりして,どたばたがあり,チェックインカウンターに着いたときにはすでに出発20分前。「too late!」と言われてしまった。17年前,初めてメルボルンに行ったとき,シドニーでの乗継ぎで,同じことを言われたが,このときは「too light」としか聞こえなかったから,さすがに随分聞き取りが上達したものである。

幸い次の便に空席があり,すぐにこれに振り替えてもらい,1時間遅れでメルボルンに到着した。

着陸したとき,これですべてが無事に終った!と思った。

ところが,最後にもう一つ,問題が残っていたんだなこれが。

バスにのって,長期用の駐車場へ,車にたどり着いて,テールゲートのキーを開け,荷物を放り込んだ。さて,暑いからまずはエンジンをかけてエアコンだ。運転席のドアのキーをひねったとき。「やられた」と気付いた。普段ならこれで残り三つのドアのロックが開く音がするが,このときは何も聞こえなかったのである。つまり…

往路であまりにもひどい目にあったので,ずっと忘れていた小さな心配が今蘇ってきた。実は,出発の2日前ぐらいに,車のエンジンのかかりがちょっと悪いことに気付いていた。悪いといっても,かかるのはすぐなんだが,どうもスターターの勢いが足りない。これは少しバッテリーが弱いと,そのときは思った。しかし,この車は普段,妻が運転しており,このあとこのことをつい忘れてしまった。次に私がエンジンをかけたのは,当日の朝である。すでに荷物を積み終わっており,車を換えるのもめんどくさかったし,出発が遅れていて,これ以上ぐずぐずしていられない状況だった。何とかなるさと思って,結局この車で来てしまったのだ。しかし,やっぱり,弱っていたバッテリーが,3週間持たなかったというわけだ。

以上の事態を,キーをひねったときの音を聞いた一瞬で把握してしまった。念のためというか,何かの間違いであって欲しいという叶わぬ願いを込めて,スターターを回してみたが,うんともすんとも言わない。だめだこりゃ。

RACV(日本のJAFにあたるもの)に電話。レスキューが来るのに2時間半かかると言われて絶望。そこで妻と娘は再びバスに乗って,空港に戻り,タクシーで一足先に帰宅することにした。私は待っている間に,他の人に車で来てもらう算段をしたりしていたが,そうこうするうちに,予想よりずっと早くRACVが到着した。それでも1時間ぐらいはかかったろうか?でも,思ったよりはずっと早く解決。さすがRACV,エンジンは一発でかかった。これでとにかく帰宅。翌日バッテリーを交換したのは言うまでもない。

まあ,最後のやつは,私の不注意だ。しかし,いずれにせよ,初日にすべてが仕組まれていたという感がぬぐえない。そう,すべては12月20日という日にあらかじめプログラムされていたのである。

そういえば,その後,風邪の方も一進一退。咳で夜眠れないということはなくなったが,今だに咳が直らない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です